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私をめぐる冒険 ~ヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』~

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私をめぐる冒険 ~ヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』~

 ええ、そうなんですよ。ハイ。私ね、『ソフィーの世界』っていう本が好きで好きでしょうがないんです。はじめて読んだときはびっくりして、意味がわからなかったところがわかってくる喜びがあって、読むたびに新しい発見があって、もうとにかくすばらしい本で、この感動を誰かと共有したくて、いつもウズウズしてるんです。だから、おしゃべりしたいんです。この本を読んだことのある人と。

 でも、「『ソフィーの世界』読んだことある」って人は、その後に必ずこう言うのです。「昔中学生のころに親が買ってきてくれて読んだけど、内容はよく覚えていない」、と。この一連の流れの出現率の高さたるや、ひとつの定型句なのではないかと思われるほどです。「ソフィーの世界」は「忘れた」とか「難しい」とか「長い」とかの枕詞じゃないんですよ奥様。別に口に出さなくても、多くの場合はちょっと話してみるとわかります。だいたいの人は、物語の筋を、物語の構造を、理解していません。別に責めるつもりはないのです。なぜならば、『ソフィーの世界』は、主人公と同じ15歳前後のころに読む人が多いのですが、この本は羊の皮を被った大人向けの小説なので、それくらいの年頃のお子様には理解するのがあまりにも難しいからです。でも、読んだのが昔ならば理解できなくて当然という事実は、私の想いをさらに行き場のないものにしています。どうにもならないのです。

 そう、私はとても悲しんでいます。この悲しみが、私にこの記事を書かせています。あまりに悲しいので、熱心な哲学ファンの皆様や全国の哲学の先生方にクソ怒られそうな記事をいつも書いている私でさえ、真面目なブックレビューを書いてしまうほどです。この記事からは、私の涙が落ちる音と、それを乾かすくらいのモワワ~っとした熱気を感じていただけましたら幸いです。みんなに届けこの臭い。
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 『ソフィーの世界』はフィンランドのヨースタイン・ゴルデルという人が書いた小説で、1991年に出版され、世界的なベストセラーとなりました。あらすじとしましては、15歳の誕生日を間近に控えたソフィーという少女が、ある日、知らないおじさんから謎の手紙を受け取り、文通を始め、ついにはおじさんと秘密の個人授業が始まる…という、現代日本の少年少女にはおよそ読ませてはいけない内容となっています。怪しい人からの手紙は読まずにゴミ箱に捨てましょう。お返事を出すなどもってのほかです。個人情報の保護はしっかりと。不審者が家の周りをうろつかないように、普段からご近所の方々との連帯を強化しておくことも重要です。この小説は、このような常識をちゃんと知ってる人を対象にしていると考えてよいでしょう。作者のヨースタイン・ゴルデルも、15歳以上の大人を対象にしたというようなことを言ってたみたいですし。おじさんの講義は哲学史です。「神話から科学へ」「古代・中世の哲学者たち」「経験論と合理論」「集大成としてのカント・ヘーゲル」と、重要どころはもれなく押さえられています。一章ごとに取り上げられる哲学者の人選も、ヘーゲルあたりまではとてもオーソドックスです。そこから先は、マルクスやフロイトは出てきますが、日本人が大好きなニーチェはちょろっと言及されるだけで、20世紀の二大巨頭のハイデガーとヴィトゲンシュタインは名前も出てきません(出てきたっけ…?)。ベンサムら功利主義者やアメリカのプラグマティズムも当然出てきません。それらの代わりにダーウィンが丸一章使って紹介されているのがこの本の面白いところですね。この『ソフィーの世界』の哲学史は、日本語版の監修の須田朗先生が「大学の教養の授業でそのまま使えるレベル」と太鼓判を押しているくらいなので、哲学に興味がある人が知識を得るのにも十分なものとなっています。

 しかしながら、『ソフィーの世界』の素晴しいところは、その哲学史紹介とは別の部分にあります。単なる哲学史の概説だけであれば、本書の他にも優れたものはたくさんあります。しかし、ほとんどの本は単に知識を与えるだけなので、哲学にさっぱり興味がない人でも読むことができますし、読み終わった後で読者が哲学的な思考法を実践するとも限りません。これに対して『ソフィーの世界』は、それを読んで物語を理解すれば、必ず、哲学的なことを考えてしまいます。考えざるを得なくなるのです。『ソフィーの世界』には、そのような仕掛けが組み込まれています。

 須田先生はあとがきにおいて、本書を推理小説と紹介しました。謎があり、謎解きがあるから、と。そのことに文句を言うつもりは一切ないのですが、この本は、それと同時に、冒険小説でもあると思います。ソフィーはおじさんの助けを借りながら「私」の謎と向き合っていくのですが、その様子にはスリルがあります。一種の不安さ、危うさを孕んでいるとも言えます。なんとかソフィーがいいほうに進んでほしい、そういう気持ちを抱いてしまいます。普通小説を読んでいるときは、推理小説であれば犯人が捕まろうと捕まるまいと、あるいは探偵役が殺されようがどうなろうが読者には一切関係ありませんし、冒険小説であれば登場人物が旅の途中で遭難したり餓死したりしても読者には何の影響もありません。しかし、『ソフィーの世界』では、ソフィーが「私は誰?」という謎を与えられたら、読者は一緒に考えなければなりません。ソフィーが「私」を見失ったら、一緒に探しに行かなくてはなりません。なぜならばそれはソフィーの問題であると同時に、読者自身の問題でもあるからです。読者に与えられた問題なのだから、読者自身が何とかしなければなりません。ソフィーが「私」の謎に対する答えを探しに行くとき、読者である私たちもまた、「私」をめぐる冒険へと駆り立てられていくのです。
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